市民ジャーナリズム

知ろう

オープンジャーナリズムの可能性

市民ジャーナリズムを糧にする

だからこそ市民ジャーナリズムの出番なのかもしれない、本来ならテレビでは取り上げることが躊躇われている情報についても市民記者を通じたサイト投稿などで、インターネット上で公開されればそれだけで興味関心が惹かれるという人が出てくるかもしれない。インターネットの良し悪しは勿論あるが、良い部分として情報の拡散性に関してだけ挙げれば、誰もが知りえることがなかった事実を獲得することも出来るようになる。ただ昨今の状況を考えると、日本にしても、世界にしても、市民ジャーナリズムといったものに対しての見方は消極的であり、また成功した実例のないものだ。

この成功という二文字があるだけで果敢に取り組んで行こうとする意思が削がれる場合もある、新しいことを進んでやっていくための勇気はとても大事だが、それを継続して長期に渡って維持する事は誰もが出来るような人間業では無い。そこへたどり着くための足跡をキチンと形成されていないと通りたくないと考えている人もいる、険しい道は歩かず、平らな道を歩いて平々凡々としたさして障害を感じない生活をしていきたいと考えている、そんな風に考えている人がおそらく多いと思う。

だがこうした状況を打破するように市民ジャーナリズムをもう一度復活させるべきだとする意見も聞こえてくる、市民の一人一人がジャーナリストとして活動することが出来るようになれば、世間一般には様々な情報が満ち溢れることとなる。それは引いて言うなら、誰もが知らなかった世間の奥底に隠された情報を見聞きすることが出来る、最高の機会であると、そしてそれを伝達する技術をプロ・アマ関係なく発信することによって、それまでになかった情報社会が形成されていくだろうといった期待が込められている。

どうしてこんな期待を寄せるのかというと、それもやはり世間で流される情報があまりにも画一化されたものとなってしまっているからだろう。


統合された情報

情報といっても一重に区別出来るモノでは無い、また誰もがその情報を欲しているわけではない。必要に応じて、また社会を知るという意味で最低限知っておかなければならない事は知識として備えておくべきだとするもの以外で考えたら、それ以外は自分の趣味に傾倒している、もしくは自分が興味を持って知ろうとする意識を向けられるかといった点で情報の精査を行っていくものだ。筆者もそうだ、自分の興味がない情報を進んで手に入れようとはあまり思わない、それこそ気分が乗った時に専門外の事を調べる程度だ。

しかし中にはとにかく知らないことをもっと知っていきたい、また知っていくことでより様々な情報に通じるだけの知識を持ちたいとする考えを持っている人もいるだろう。毎日溢れんばかりの情報で満たされている社会の中で、些細な隙も見せないように生まれた情報を見つけては拾い上げる、そのことを幸福だと感じているのかもしれない。ただ中にはある事件を風化させたくない、また忘れてはいけないから自分から情報を発信するようにする、そんな意図を持っている人も存在している。

情報の風化

これだけ莫大な情報が発生している社会の中では、どんなに際立った事件でもなければ人は少ししたら直ぐに忘れてしまうものだ。それを悪と考える人もいるだろう、また忘れないでいてもらうために記事を書き続けるといった人もいた。日本で市民記者主導のニュースサイトがそれなりに目立っていた頃、そこではあの時起こった事件をそのままにしないで継続して情報を発信し続けようとする人もいた。その人は従来の報道姿勢に対して疑問を持っており、一度報道した事件は話題性を富んでいなければその後の進展を報告しないとする、そんなスタイルに憤りを感じていたとも語っている。

確かにそれはある、だが新聞やテレビといった所に寄せられる事件の数は、それこそ山ほど存在している。忘れてはいけない事件ならともかく、どうしても大手報道機関の取扱う事件ともなるとどこか世間一般が関心を寄せることが出来るものを扱いたくなる。そこに様々な思惑が絡んでいるわけだが、それもやはり利益重視としているために伴う弊害なのかもしれない。自分だけは忘れないよう、そして自分だからこそできる情報を発信し続ける、それこそが市民ジャーナリズムの本質と言える。


事実を伝える

情報の多さによって入り乱れる世の中だからこそ、見出さなければならないこともあるが、これをプロのジャーナリストが取り上げるのは少しばかりリスクがある。仕事として行なっていかなければならないとあれば、必然と自分の経済事情と相談しての仕事をして行く必要がある、体裁を気にする必要だって有る、ただ市民ジャーナリズムを武器にすればアマチュアだからこそ出来る、一度取り上げられてその後の進展を報道しないメディアに出来ないことを自分たちで行っていけるのが強みだ。

知る権利が制限されてしまう事態が差し迫っているが、それによって今後は市民ジャーナリズムという新しい報道スタイルが求められているのかも知れない。一時こそその発展を目指して立ち上げられたが、今こそもう一度再起するべきなのかもしれない。