市民ジャーナリズム

知ろう

ジャーナリズムとは何か

相反する、新たな可能性

ジャーナリズムをする上で求められる客観的であり、そして中立としての意見は現在でも主流となっているが、中にはニュー・ジャーナリズムとして取材対象と深く関わることで、その本質を物語調に読み解こうとしているジャーナリストや記者もいる。それらの手段も一つだが、生々しく伝える手段も当然ある。カメラや録音機といった録音・録画機能を使用することで事実だけをそのまま情報として発信することが出来る。その映像は従来のマスコミでは出来ない部分でもあり、被害者となった人間が行うことが出来る手段だ。そういうことを考えると事件当時の状況を知るという意味で、こうした録音・録画機能を有している機器を最近では当然のように使用しているが、音声としてもだがやはり映像から来るインパクトは衝撃を受けることもあるだろう。

そういう意味で筆者が事件、というには少しばかり違うが『東日本大震災』の当日、地震が発生して町を津波が飲み込んでいく様子を撮影した、市民の動画などを閲覧すると言葉では受けられない暴力的なまでの真実を、当時の状況を鮮明に眼球へと焼き付けていく。ジャーナリストが追いかけて撮影したのではなく、本当に街に住んでいる市民が何とか高台で被害をやり過ごしている様子を、近場で撮影している様を見るたび、その恐ろしさを実感するところ。これもまた一重にニュージャーナリズムの1つといえる報道手段と言えるだろう。

こういう点を考えてみると、これまで客観的に、中立として物事を記載していた記事がいかに薄っぺらいかを表していることが分かるが、それが間違っているわけでは無い。ニュー・ジャナリズムというものも対象を取材することでより濃密な記事を仕上げることを目的しているが、やはり当日、それもその時に撮影された情報源に勝るものは無い。映し出されている、また録音されている声や映像からの緊迫感は自分たちもそこにいるかのような既視感を覚え、暴力のように事実を確認させられる。恐怖も、憐憫も、哀れみも、そんな感情を抱く余地もなくただ伝えられる情報を受け止めなければならないのは、過酷だが知らなければならないことでもある。

文章では伝えられない事実も、映像や音でよりリアルに伝えることが出来る新たな可能性を示唆することになったニュー・ジャーナリズムの迫力を蔑ろにすることは出来ない。


客観性を重視する理由

そもそもこうして従来のジャーナリズムにおける客観性が求められるようになったのにはもちろん訳が存在している。それもただ体系的に組み込まれただけではなく、歴史という波にもまれながらも確かに一歩ずつ進みながら作られていったことによって、客観的に、そして中立として物事を情報として発信することが取り決められていった。昔からジャーナリズムを取扱う記者とはある種専門的な職業と見られてきたが、だからこそ専門的に活動するためにはある程度ルールを敷かなければならなかった。そうする事でようやくまともにジャーナリズムというものを構造的に組みなおすことに成功し、そして現代に続くジャーナリズムへと派生して行く。

専門的だからこそなのか、ジャーナリズムを説く人の中には意固地にプライドが高い人もいるだろう、最もらしい言葉を使用するならプロフェッショナルといった言葉で表現したら体裁もつくが、まさしくその言葉どおりプロだからこその体面を維持しなければならなかったため、ルール、または職業倫理といった観点から客観報道を主体としたジャーナリズムは誕生した。

その歴史的背景を軽視する事は出来ない、何かと物申したいと考えている人もいるかもしれない。だが逆に考えると客観報道主義のジャーナリズムという基礎があったからこそ、改めて新しい試みとして考えられている報道のスタイルが誕生・提唱されている状況に繋がっていると考えれば、積み上げられてきた足跡も価値が出るものだ。

ジャーナリズムの種類

客観報道を基本としたジャーナリズムと呼ばれるものを考え、さらにそれとは相反する立場になって報道の新たな可能性を引き出したニュー・ジャーナリズムを知ると今後どのようなスタイルが誕生して行くのかは気になるところだ。ではそんなジャーナリズムも現在確認されているスタイルとして、どのようなものがあるのかを簡単にまとめてみる。

・エリート・ジャーナリズム
固い話題を中心とする客観報道スタイル
・ポピュラー・ジャーナリズム
好奇心に基づく、センセーショナル報道スタイル
・調査ジャーナリズム
うずくまった事実を掘り起こすことで、政治・経済などの不正を暴こうとする報道スタイル
・唱道的ジャーナリズム
特定の主義主張を担う主観的な報道
・タブロイド・ジャーナリズム
犯罪・性・スキャンダルを素材とする報道

他にもいくつがあるが、ジャーナリズムとして展開されている内容の物はこれだけの種類に分かれている。この中には客観的な報道を中心としているものもあれば、主観的に物事を捉えてある内容に関して言及していると言った報道などもある。

これらのジャーナリズムに関しての共通点としては、メディアを用いて社会的に報道するというところだ。これはどんなジャーナリズムでも共通しているところで、報道する媒体が存在していなければならないのは同じこと。ただこうした報道を事実として捉えるか、嘘として見ないことにするのかは人に委ねられること、正しい情報を探り当てるという意味では中々困難だが、ジャーナリズムという言葉だけで考えるのは難しい、それだけは証明出来るだろう。