市民ジャーナリズム

知ろう

ジャーナリズムが構築する現実

専門職業としての特異性

市民記者による市民記事をまとめて情報を発信するこのような仕組みに関して、本当に正しいことなのかどうかを判断するだけの物差しが備わっていればある程度心配はいらないが、情報の種類によっては通じていないという人もいるため、中々難しいところ。先に紹介した、問題となった偏見的な記事からも見て取れるようにあの問題に関して記者は自分の視点で記事を書こうとすることに捉われており、事件当時の背景や車内の状況、また被害者心理を理解するための犯罪心理学といった、様々な論点からアプローチを試みる事無く話を展開している点が、何より問題だと言える。単純に女性としての人権そのものを蔑ろにしているのもそうだが、それとは別の意味で問題にしなければならないのは、記事に対して違和感などを持つ事無くそのまま掲載した編集スタッフにも非がある。おそらくそこでキチンと止めていれば情報が世間一般に流れる事無く、内輪揉めとしてかき消すことだって出来ただろう。しかしそれをしなかったという事はこのまま掲載すれば面白いことになると予想してあえて止めなかった、そんな意図さえ汲み取れてしまう。

記者、もしくはジャーナリストといった職業はとても難しい。単純に事件に関する情報だけを掲載すれば良いというわけではなく、掲載するまでにどの程度情報をまとめているかといった点でもその質が問われるからだ。だからこそ様々な情報に通じていなければならないと考えられ、そしてあらゆる視点から物事を観察し、そしてそれに対しての意見を誰の気にも触れないように配慮することも記事をかく記者に求められる資質であり、ジャーナリズムを展開する記者が持っていなければならない。だからこそジャーナリストなどは一般的には専門職として見なす人も多い。


ジャーナリズムの本質とは

ただこうして話してみるとどうしても分かりにくいところとして挙げられるのが、ジャーナリズムと呼ばれるものがどんなものなのか、ということだ。もちろんこれに関しては人によってそれぞれの意見があるだろうが、今回は個人の解釈を抜きにした話として進めてみると、やはり統一された何か観念的なものがなければならない。そうしないと秩序のない物事はルールに縛られない、あまりにも自由すぎるが故の混沌とした状況に陥ってしまうからだ。おそらく先の事件に関する記事を作成した記者も、自分というルールの中でしか物事を図っておらず、またその記事を載せることに対して疑問を感じなかった編集もまた、自分達の利益を獲得することだけを念頭に入れたルールに基づいてしか行動していなかったということになる。

何事もいくつかの制約がなければならない場合がある、ある程度準拠した基準を設けていなければ何をしても問題ないという無法地帯になりかねないからだ。それがジャーナリストの本質であるなどと戯言を発言している人がいたら、おそらく失格という烙印を押されるだろう。確かにいち早くスクープを掲載したいという気持ちもあるかもしれないが、そこに自分よりの偏見的な記事を掲載するようなことをしてしまうと、やはり先ほど話した問題を引き起こしてしまうことになってしまう。

では本質的にジャーナリズムと言われるものとはどのように考えるべきなのかというと、一言にまとめた言葉として『中立・客観報道主義』というものだ。ニュースを掲載する上でこの上なく、そしてとても重要な点だろう、これがなければ明らかに政治的にも、社会的にも情報が操作されていることを示唆するような内容になってしまう恐れが出てきてしまう。ジャーナリストが持たなければならない本質とは、そんな至極当たり前のところに比重を置いていなければならないだろう。

昨今出てきた『ニュー・ジャーナリズム』とは

ただこうした客観的にニュースを書くために必要な情報を取得するためにはどうしても、それだけでは不足してしまいがちな情報も出てくる場合もある。また客観的に捉われるがため支配的なジャーナリズムが構成しているとも考えられている。そういわれると確かにそのとおりかもしれないが、捏造するよりかはまだいいのではないかと思う。情報を取得するために必要な情報を獲得するためには幾らかの危険を考えなければならない場合もある。それもすべては自身のジャーナリズムのためと、そんな心情を持って活動している記者もいるだろう。

こうした流れから昨今のジャーナリズムの他に、あえて自分から観念的な部分から逸脱するように、特集する人、もしくは物事に対して積極的に関わろうとする事例もある。それがここ数十年で新しく出てきたジャーナリズムという考え方が生まれた、『ニュー・ジャーナリズム』というものだ。この新しいジャーナリズムの特徴としては、必ず優先しなければならない客観性をあえて排除することで、取材対象と積極的に関わることで、対象の事を深く、濃厚に描いていこうとする考え方となっている。

またニュー・ジャーナリズムと呼ばれる物はその内容を描写する中で、文章として用いられる手法も従来とは異なっている。それは対象を深く、そして内面から表現しているために小説のような技法を用いていることだ。それによって通常のニュースを連想することが出来る記事ではなく、まるで読み物を見ているような内容になっているため、読みやすさという点ではある意味優れているところだろう。