市民ジャーナリズム

知ろう

日本に市民ジャーナリズムが普及しない理由

情報を正しく発信できないのも要因

ここ数年の間で、日本にもこれまで席捲していた情報メディアに対しての対抗馬として市民ジャーナリズムを取り入れた情報サイトとなる『市民サイト』が誕生していた。ただそのどれもがあえなく閉鎖や企業そのものが倒産、あるいは経営統合という形で幕を下ろしている。それが悪いことだと考えている人は実際のところいないだろう、筆者としてもこの記事を作成している時に存在を知った程度だったため、別段思い入れといったものは無いのだが専門的な視点にしてみるとやはりといった結末を迎えることになったと考えている人もいるという。

市民ジャーナリズムとは次世代の、日本という社会から放たれる情報だけを鵜呑みにしている中で、固定観念から脱却しながら普段のメディアで報道されないようなニュースが提供されていた。そこから発信された情報が正しいものももちろんあった、そしてそこから1つ先の展開を引き出せるだけの判断材料としても丁度良いと見られるようになる。

開設されたばかりの頃はサイト運営を行っていたが、そこで満足のいく結果、また予想していた結果よりも下回るような成果しか残すことしかできなかったという。これによって日本ではまだまだ市民ジャーナリズムというものの考え方に関して、一般的に広まっていないことも意味していた。今後益々情報に関して取扱をしていかなければならない、また自分で真実を訴えて行こうとする姿勢を示していかなければならないという、意志を見せることも大事だとする人が出てくるだろう。

ただそれでもサイトとして読者を増やさなければならない、また運営して行くだけの予算を獲得するため、サイト内の広告掲載といった収入の手立てを見出さなければならない。一番初めにも書いたが、情報を元にした偏見交じりの情報を掲載したりする事はNGであるのはもちろんだが、そもそも日本ではまだ市民ジャーナリズムについてキチンと理解している人が少ないのも影響している。どういうことか、それは戦後から続くメディアを支配している体系が微弱ながらも変化しているだけで、それ以外の要素はあまり変わっていないこと。つられるように、日本では市民が一人のジャーナリストとして情報を発信するだけの社会的な準備が整えられていないのも、大いに関係している。

前時代の報道システムがいまだ健在

何故日本では市民ジャーナリズムがここまで普及しないのかを考えていくと、それは戦後から現在まで継続している報道に対しての日本的な姿勢と邂逅することとなる。日本の報道番組を見ていて思う事は、何処もかしこも当たり障りのないものばかり放送しており、また明らかに状況が芳しくないことが誰の目から見ても明らかとなっている事象に対して、あたかも景気が良いとばかりに報道している姿勢に対して、人によってはテレビや新聞に対して酷い嫌悪感を抱いている人もいるだろう。

ただこれが日本の報道システムの本質であって、それが戦後から続く体制としても調べていくことでよりその歴史を垣間見ることができる。1つの起点となったのは平成に入ってからの長期化する不景気を何とか打破するためにと政権交代した時にまで遡ることが出来る。その折に、当時政権を獲得していた民主党は、日本の各テレビ局などが集まって結成された非営利団体『記者クラブ』を解体しようとする動きがあった。結果として解体されることなく政権は従来どおり奪われてしまったわけだが、どうして非営利組織をそこまでして解体しようとする動きが出たのか、ということに注目したい。

現代の日本、もう少し平たく言えば報道をするに当たっては各報道機関に所属する事、そしてその報道機関を通じることで記者クラブへと会員登録が行われなければ、特定の報道機関への取材に対して行いづらくなっているとまで言われているほどだ。これについてはフリーランスとして活動しているジャーナリストはもちろん、日本の主要機関を始め、世界の経済推進機構からも勧告を受けているほどだ。

その点に関しては良いとしてもだ、問題とするべきはこの記者クラブに所属しているのが日本の報道機関の大手ばかりという点だ。このため、色々な意味で取材をするにしても、ニュースを報道するにしてもある種閉鎖的な内容のものしか報道されないようになっており、その体制が現在まで継続しているがために、市民ジャーナリズムのようなものに対して一般人が興味関心を持たなくなっている。

既存の企業から提供される報道機関からの情報は、日本全国をいたるところまで支配しており、それが全て正しい情報であると認識させるだけの影響力を持っている。それだけの力があるということは、何かと政府の都合が悪いことを隠蔽することが出来るようになっているため、結果的に報道機関がメディアを支配し、その報道機関を政府が支配しているため、日本では何かと自分たちに不都合な情報に関しては流れないようになっている。無論これはどの国にも共通していることだが、日本の状況はますます深刻になりつつあるため由々しき事態と見た方がいい。


日本人の気質に合っていない

ではそうした報道機関の体制が抜本的に変革されれば何かが変わるのかと思いたいが、そうはいかないだろう。そもそも市民ジャーナリズムと呼ばれるジャーリズムは日本人にとっては、敬遠すべき対象として見られる存在なのかもしれない。勿論中にはタブーに対して触れ込んでニュースを報道している人もいる、純粋に評価して今後も継続して行って言ってもらいたいと思っている人もいるが、では実際に自分がして見てはどうだろうかと言われて、行動する人はおそらく10人中1人いるかどうかでは無いか。

お話したとおり、市民ジャーナリズムを展開する市民記者であろうと、情報を発信するためにはある程度の説明責任と、情報が正しいということを証明できるだけのソースがなければならない。ただこれは体裁でしかない、本音へと切り込むものとしてあげる理由には『自分が目立つようなことはしたくない』という点だ。しかも社会そのものに喧嘩を売るとなれば自然と注目度を集めることになってしまう。それを何かと不都合に考えるのは至極当然ともいえる感情だろうが、これが逆に日本の報道システムを閉塞的にしている遠因にも繋がっていく。

自分で大それた事はしたくない、誰かが報道したからこそ楽しめると考えている人が多いのも関係していると見るべきだ。簡単に言えば責任をもちたくないと考えている人が増えていることもそうだが、それ以上に市民ジャーナリズムがこれ以上増えないようにする法案も施行されようとしているため、ただ事態は悪化して行くだけなのかもしれない。